結婚というのは、他人同士が一緒に生活を送るための儀式であり、そこに『愛は必要ない』というのが、僕の結論です。
待て待て〜っ!!
極論をいうと、お互いに嫌ではなく、一緒にいることで得られるメリットが大きければ、結婚生活は上手くいくし、恋だ、愛だと騒いで結婚をしても、お互いのメリットが小さければ、夫婦生活は破綻します。
そうかも知れない。でも・・・
恋は盲目・・・惚れた腫れたなどと、感情で行動をするから、時が経つにつれ、お互いの嫌な部分が鼻につき、冷めてしまい、不幸のどん底にまで転がり落ちることになるのです。
そもそも人間の感情というものは、厄介で計算できないものです。予定通りに物事が進まないのも、世界平和が実現しないのも、僕が世界の片隅で叫ぶのも、全ては人間の感情のせいであり、感情というものは、人生を狂わす唯一の要因と言っても過言ではありません。
感情と欲望で生きているくせに?!
つまり、結婚というのは、打算と妥協・・・したたかに計算して行うものであり、愛などいう感情は必要ないのです。
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結婚に愛は必要なのか
恋愛と結婚は、そもそも相手に求めるものが違います。恋愛相手・・・恋人に求めるものは刺激であり、一緒にいてドキドキする相手であり、そこに癒しや生活感は必要ありません。
結婚相手を決めるときは、いくら、冷静だと自分で思っていても、恋は盲目・・・肉体的にも心拍数が上がっている状態です。冷静な判断なんてできる訳がありません。
確かに・・・
さらにいうと、結婚をする年齢まででは、人生経験が少なく、良き伴侶かどうかを判断するデータが少なすぎます。つまり、冷静ではなく、経験も少ない状態で、一生を寄り添うパートナーなんて選べるはずはないのです。
結婚相手に必要なのは、間違いなく、癒しです。一緒にいて緊張をする相手と一生過ごすなんて地獄ではないでしょうか。まったりと落ち着く・・・お互いに無言でも気にならない空気のようなパートナーが最高です。
ぶっちゃけた話、結婚をしても、出産しても、子供が大きくなっても、いつまでもラブラブな夫婦というのが理想です。いつでも、くっついていたい・・・いくつになっても、幸せなおじいちゃんとおばあちゃんでいたい。
できれば、いつまでも大きな愛で包まれていたい。
他人に向ける愛と家族愛の違い
家族に対する愛と結婚相手への愛が、同じであると勘違いをしてしまいますが、愛は愛でも異なります。
・・・どういうこと?
本当は同じ質の愛をパートナーに向けられれば良いのですが、どうしても違います。結婚相手に対する愛は、なんとなく、恋に近く、家族に対する愛とは違うのです。
「一緒にいたい」「この人を支えたい」というのが、結婚相手に向ける気持ちで「何があっても許す」「最後まで面倒を見る」という覚悟が家族に向ける愛。そして、僕が必要ないという愛は、結婚相手に向ける気持ちの方の愛です。
それこそ、必要でしょ?
もとい、「一緒にいたい」とか「この人にくっついていたい」という恋に近い愛は必要です。そうではなくて、パートナーは家族だから、何でも許してもらえると思うことがあってはならない。
恋心はいつまでも絶やしてはいけないけど、家族と同じ愛を求めるから、夫婦仲が悪くなるのです。
理想の結婚生活とは
そもそも、他人同士である男女が一緒に暮らすということは、エゴとエゴがぶつかり合い、どちらかが折れ、悶々とストレスを溜めることになってしまいます。
そうだよね・・・
例えば、おなら・・・相手の前で盛大な音を立てるおならができますか? 相手のおならを聞いて笑ってツッコミを入れられますか?
ムッとする・・・
親兄弟なら、許せることでも結婚した相手だと許せないということがありますよね・・・隠す必要はありません。それは他人同士だからあって当たり前です。
家族でもムッとする・・・
おならは別として、本当に些細なことでイライラを募らせ、我慢をすることで相手のことが嫌いになってしまいます。
理想的な夫婦というのは、他人以上、家族未満の微妙な関係なのです。
いつまでも、お互いに気を抜かず、恋人同士の気分で過ごす。どちらかが気を遣うのではなく、お互いが我慢をしながら生活をすることです。
つまり、夫婦には愛ではなく、恋の方が必要なのです。
どちらかが犠牲になっては駄目
結婚を経験した人であれば、パートナーのエゴを通すために自己犠牲をしたことがあるのではないでしょうか。
・・・ある
もし「自己犠牲なんてしたことないよ。いつも思い通りに生活できているさ」なんて感じているなら、そろそろ覚悟・・・三行半を叩きつけられても良いように準備を始めてください。間違いなく、相手は我慢し、あなたのために自己犠牲をしています。
そうだよね・・・
そもそも、結婚するまでは他人の二人です。育ってきた環境も、考え方も、生活のリズムも全てが違います。もちろん、価値観が近い、似ているということはあっても、根本的に違う人間です。
どちらかのエゴを通すためには、どちらかが犠牲になる・・・これは世の中、普遍の道理です。みんなが幸せな社会が実現できないのも、格差社会が埋まらないのも、金持ちばかり優遇されるのも、全て誰かのエゴを通すために多くの人が犠牲になっているからです。
耐え忍ぶのは正義ではない
ここだけの話、日本人の多くは耐えることを美徳と考え、我慢をして相手に尽くすことが正義だと考えています。
なので相手のエゴを通してあげることが、愛だと勘違いをしてしまう。ですが、それは間違いです。血のつながった家族・・・子供たちのためなら分かりますが、見返りもない他人のために我慢する必要はありません。
一人で頑張ったところで、感謝もされず、褒められることもない。さらに「やるのが当たり前」などという自己中心的な価値観を押し付けられるなんて間違っています。
確かに・・・
結婚に愛を求めてはいけない
結婚相手を選ぶときは、お互いに一生寄り添える相手かという判断を鈍らせるのも、結婚してから、何でも許してもらえると勘違いをしてしまう原因になるのが『愛』です。
・・・そうかも
本当に相手のことを思いやり、お互いに助け合うためには、愛は必要ありません。必要なのは『恋』の方です。というのが、僕の結論です。
忘れてはいけないのは、元々は他人同士だということ。何でも許してもらえるというのは欺瞞です。いくら家族でも、相手のことをリスペクトして、お互いが相手のことを考える・・・愛に甘えてはいけないのです。
恋をしていたときの・・・あのアオハル時代を思い出してください。どんなに好きでも、一緒にいたいと思っても、そこには、他人として、見られる立場として緊張感があったはずです。
・・・あった
あの頃は、相手に気に入られようと気を遣っていました。いつの間にか、そばにいるのが当たり前になり、相手のことを考えなくなる。
夫婦不仲の原因は『愛』の勘違いなのです。
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